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鹿児島県の徐福伝説

 蓬莱の地を求めて大船団で船出した徐福一行はここいちき串木野市の海岸に上陸しました。霊峰冠岳(かんむりだけ)は薬草が多く自生する山で,不老不死の薬草があるに違いないと思ったからです。佐賀県の伝説を考慮すれば,佐賀から船出し,九州西海岸沿いに南下した一行がここ串木野にたどり着いたと考えるのが自然かもしれません。いちき串木野市は「市来」という地名がありますが,徐福の別名は徐市(じょふつ)で,「徐市が来た町」という意味があるようです。(注)平成17年10月11日市来町と串木野市が合併し,いちき串木野市となりました。

日本最大の徐福像1日本最大の徐福像2

徐福求仙登蓬莱之像徐福求仙登蓬莱之像徐福求仙登蓬莱之像徐福求仙登蓬莱之像
「徐福求仙登蓬莱之像」

 いちき串木野市にある標高約500mの冠岳に,日本一大きい(像の高さ6m,台座の高さ2m)の徐福像が立っています。徐福像はこの山を見上げる地に立ち,東シナ海を見ています。
(鹿児島県いちき串木野市上名西岳)地図
(このページの一部の写真撮影にフィッシュアイレンズ使用)

「徐福求仙登蓬莱之像」「徐福求仙登蓬莱之像」この像はマグロの漁獲量が多く,遠洋漁業の基地港としても有名な鹿児島県いちき串木野市に,(串木野市)市政50周年を記念して2000年11月に徐福展望公園(冠嶽展望公園)に建立されました。中国の秦皇島市には徐福の帰りを待ち望む始皇帝の像があり,これと向きあうようにして建てられています。

冠岳冠岳冠岳は西岳,中岳,東岳からなる山で,薬草が多く自生していたと言われています。

冠岳連峰の西岳冠岳連峰の西岳冠岳連峰の西岳(標高516m)は中国古代の冠の形に似ています。冠岳という名前はそれが元になっていると言われますが,別説として,冠岳にたどり着いた徐福が自らの冠をとり,ここで封禅(ほうぜん)の儀式を行って冠をここに留めたからついた名という説もあります。「封禅は天と地に王の即位を知らせ,天下が太平であることを感謝する儀式である。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

紫尾山紫尾山 冠嶽に登った後,徐福らは次に標高1,067mの紫尾山に登りました。徐福はこの山の神に冠についていた紫の紐を納めました。鹿児島県出水市,薩摩郡さつま町 地図

紫尾山頂上紫尾山頂上 徐福は紐をどこに納めたのかは分かりません。現在,紫尾山の頂上には各放送局のアンテナが数本立っています。
 頂上を少し下ったところに「上宮権現」と呼ばれている紫尾山上宮神社が建っていますが,徐福とは関係がないようです。
 徐福が冠嶽や紫尾山で行った儀式から,徐福はもう中国にはもどらないという強い宣言をしたのだと解釈できそうです。



冠嶽園冠嶽園冠嶽園庭園冠嶽園庭園いちき串木野市には中国との友好を深めるため,中国式の庭園施設「冠嶽園(かんがくえん)」が明治2年に廃仏毀釈で取り壊された寺院「頂峯院(ちょうぼいん)」の跡地に造られました。
 冠嶽園及び公園(鹿児島県いちき串木野市冠岳13511-7)地図

冠嶽園望嶽亭冠嶽園望嶽亭ここには公園のシンボルともなっている八角形をした「望嶽亭」と名付けられた建物を中心に,中国式の庭園が整備されています。また,この周辺一帯にも中国の技師を招いて造られた施設が建っています。

冠嶽園内の徐福像冠嶽園内の徐福像冠嶽園内の庭園に徐福像が立っています。

長崎鼻長崎鼻いちき串木野市にある長崎鼻
ここから東に照島海岸が続きますが,上陸地点としてふさわしいところかもしれません。
地図

照島照島
 いちき串木野漁港の近くに照島という島があります。ここには照島神社があり,赤い欄干の橋を渡って行きます。

「方士 徐福登陸の地」「方士 徐福登陸の地」「方士 徐福登陸の地」 赤い橋を渡り,海岸沿いに右に少し歩いたところに「方士 徐福登陸の地」と書かれた石碑があります。徐福がここに上陸したことを示しています。地図

驪龍巖驪龍巖 徐福の上陸碑が設置されている海岸の反対側が南シナ海です。この海に面して,照島の景観地「驪龍巖(りりょうがん)」があります。

驪龍巖驪龍巖 江戸時代,島津家の殿様が市来に湯治に訪れた際にここに立ち寄られました。その時,巨岩と海を見て,「玉を抱いてうずくまる龍の姿」とたとえられました。そして,岩に「驪龍巖」と彫らせたのです。この岩が今も残っています。

遣唐使船(観光船)遣唐使船(観光船) いちき串木野市から南に行くと秋目浦という所があります。奈良時代の753年,日本に仏教を広めるため鑑真が遣唐使船に乗って中国から来日した所です。6度目の航海でやっとたどり着いたのが秋妻屋浦(秋目浦)です。
地図

坊津坊津 少し南下すると坊津(ぼうのつ)に着きます。リアス式の海岸で,双剣石(そうけんせき)などの奇岩を多く見ることができます。ここにも徐福伝説が残っています。
地図

海上から見た坊津海上から見た坊津海岸から山に入った所に「がっくい鼻」と呼ばれる峠があります。「がっくい」は「がっかりする」の意味だそうです。
 坊津に上陸した一行が不老不死の仙薬を求めて日本各地を探し回りました。しかし,何年も探し求めて歩いたけれども結局見つからず,始皇帝の命に従うことをあきらめて数年前に上陸した坊津が見える峠まで戻ってきました。峠から海に向かってやや突き出たところから眼下を見ると,自分たちが乗ってきた船がまだそこにあるのが見えました。それを見て気力を失い,疲れ果てて倒れてしまったのです。上陸するまでのこと,上陸してから仙薬を探し歩いていた苦し思い,これからどうなるのだろうという不安,様々な思いがかけめぐりました。みな再び立ち上がることが出来なかったと言われています。がっかりした一行の姿を見て,村人がこの峠を「がっくい鼻」と名付けたそうです。

双剣石双剣石 坊津(ぼうのつ)は古代の海上交通の要衝で,博多津(福岡県福岡市),安濃津(三重県津市)と共に日本の三大港となっていました。海の流れが自然とここに船を運んだようです。徐福一行が立ち寄った場所でもあります。(鹿児島県南さつま市坊津町)

長崎鼻と龍宮神社長崎鼻龍宮神社 全国にたくさんある龍宮神社の一つで,浦島太郎と乙姫様が出会った縁結びの神として祀られています。
案内板には龍宮は琉球と解説してあり,興味深い。
浦島伝説は徐福伝説とも結びつきそうで面白い。
ここで倒れては先に続きません。元気を回復して再び船出したことにします。(鹿児島県指宿市岡児ケ水長崎鼻)地図

開聞岳開聞岳再び出航した徐福一行は九州西海岸を左に見ながらさらに東方へ向かいます。
開聞岳を越えて南下すると日本海流(黒潮)と出会います。

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