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徐福という人

 今から2300年も昔,現在の中国に徐福という名前の人がいました。秦の始皇帝が強大な力で支配していた時代です。この頃の日本は狩猟生活から定住生活への変化が見られた縄文時代の後期~弥生時代でした。
 始皇帝は徐福に不老不死の薬を探すように命じます。遙か東方の海上に三神山があって,そこに仙薬があると告げた徐福は,童男童女,技術者らをともなって大船団で東に向けて船出します。そして,徐福一行が着いたところは日本でした。

 そもそもいつ頃の人か?
今から2300年前のことです。日本では縄文時代後期~弥生時代にあたります。当時の中国は秦とよばれ,始皇帝が治めていました。
 この後の,前漢の時代,司馬遷(しばせん)という人が「史記」を書き表します。その中に徐福のことが書かれていました。
WIKIPEDIA(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%B7)
 司馬遷は「史記」の中で,秦始皇帝時代の28年(紀元前219年)に,徐福が始皇帝に不老不死の薬が東方海中にあると申し出たことが書かれています。

徐福という名前は?

徐福(じょふく)の正しい名前は徐市(じょふつ)です。「徐」という姓は身分が高いことを示しており,名の「市」は「いち」とは読まず,「ふつ」といいます。市は高官が儀式の時に着る衣服の意味を持っています。
徐の一族は,高貴な家系であったようで,「徐偃王(えんおう)」を祖先として,中国各地に住んでいたようです。
また,中国では「xu-fu:シューフー」と発音しているようです。(池上正治著「徐福」より)
日本で徐福の子孫は生きています。姓には「福岡」「福島」「福田」など「福」の字がつけられました。この内容は山梨県の徐福伝説でも紹介した「富士古文書(宮下古文書)」に書かれていることです。

徐福の出身地は?

斉の国 琅邪(ろうや) 
(現在は山東省の東部です)
1984年,江蘇省連雲港市かん楡(ゆ)県金山郷で徐阜村(徐福村)発見されています。ここは古来は琅邪郡であったところだそうです。別に山東省の龍口(りゅうこう)も徐福の出生地とする説があります。
大国だった「斉」は始皇帝によって紀元前221年に滅ぼされます。
また,生年は紀元前278とする説がありますが,詳細は不明です。

徐福の職業は?

方士です。方士とは呪術師や祈祷師,薬剤師であり,占星術・天文学にも秀でた学者のことをさしています。

徐福の航海の目的は?

秦の始皇帝の時代,中国から見てはるか東の海には方丈(ほうじょう)山,蓬萊(ほうらい:扶桑ふそう)山,瀛洲(えいしゅう)山の三神山があり,そこには不老不死の神仙が住んでいると考えられていました。神仙は不老不死の薬を持っているとされ,その薬を始皇帝のために譲ってもらおうと金銀を持って出航したのです。
一度目の航海は何も見つけられず失敗しますが,失敗したとは言わず,大魚に行く手を阻まれるなど大変な航海でたどり着けなかったと理由をつけて報告しました。そのため,始皇帝は多くの童男童女や様々な技師たち,多くの道具を用意して再び航海することを命じます。
しかし,徐福は二度と中国には戻ってきませんでした。一説には日本の王になったとも言われています。「平原広沢を得て留まり王となる」との伝承があります。
このことから,徐福の真の目的は日本への集団移住ではなかったかと推測されるのです。秦の始皇帝によって徐福の国「斉」も滅ぼされてしまいます。当時の人々は,万里長城の修復のための労役,焚書坑儒(ふんしょこうじゅ:始皇帝の考えに批判的な学者たちを穴に埋めて殺した)など始皇帝の圧政に苦しんでいました。それから逃れるために,中国を脱出したのではないかとも考えられるのです。勝手に国を出ることは大罪です。そのため,仙薬を求めるという理由を考えたのです。もちろん,日本に着いた徐福が真剣に仙薬を探していたことが九州地方の伝承として残っているので,最初は日本のどこかに蓬莱山があることを信じていたと考えられます。しかし,本当の仙薬は見つかりませんでした。「本当の」というのは,徐福らが発見したフロフキ(カンアオイ)やハマユウ,テンダイウヤクなどを仙薬だと思い込んだときがあるからです。紀伊半島や山梨に伝わる話から推測すると,仙薬探しよりもむしろ村人たちに新しい技術を伝えることが主目的になっていたようにも思えるのです。

徐福の年表

BC.278 一説に徐福誕生とする。
BC.259 始皇帝が誕生した。
BC.221 斉の国を滅亡し,秦の始皇帝が即位した。

始皇帝は不老不死の薬を探し求めていたところ,徐郷県(山東省龍口市)で徐福と出会う。
BC.219 秦の始皇帝が国々をまわっていたとき,斉の国の人徐福が上書(君主に書状を差し出す)した。
その内容は,東海中に三神山があり,仙人が住んでいます。童男童女とともに仙人を探したいというものです。始皇帝は徐福に航海を命じた。徐福が日本に渡来した。仙薬は見つけられない。 
BC.214 始皇帝が万里の長城を修復させた。
BC.213 焚書(ふんしょ)思想の弾圧をした。 
BC.212 坑儒(こうじゅ)学者の生き埋めをさせた。
       始皇帝が大鮫魚がいたのでたどり着けなかったと言う徐福の報告を聞く。 
BC.210 徐福らは童男童女3000人と技術者,五穀や数々の道具を船に乗せて大船団で出航した。
       始皇帝が崩御した。
BC.208 徐福が死去した。2月8日のことだったとされる。
(富士古文書により推測 参考文献・資料より)

日本までの経路は?

中国の遼寧(りょうねい)省,浙江(せっこう)省に徐福が出航したという話が伝わっています。

韓国の済州島,釜山に徐福が立ち寄ったという話が伝わっています。

対馬海峡

日本の九州から東北に至る地域に徐福が上陸したという話が伝わっています。

 *日本各地の伝説から判断すると,徐福らの船団は日本に近づくにつれ海流に乗っていくつかのグループに分かれたのではないでしょうか。

神として祀られる徐福

山梨県富士吉田市 - 機織りの神
青森県小泊 - 航海安全・豊漁の神
和歌山県新宮市 - 医薬の神
佐賀県佐賀市 - 農耕の神
京都府伊根 - 子どもの病を治す神