日本武尊の足跡を追いかける 

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日本武尊は甲斐に向かう

 
 

日本武尊「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」  
燭番  「かがなへて 夜は九夜日には十日を」
甲斐の酒折宮は連歌の発祥地と言われています。

 

蝦夷を平定した後、日高見国から帰って常陸(茨城県)を経由し、甲斐国(山梨県)に到着し、酒折宮(さかおりのみや)に来ました。 
 灯をともして食事をしてから、夜、歌を作ってで従者に尋ねました。
「新治(にいばり 茨城県)筑波を過ぎて幾夜か寝つる」
新治や筑波を過ぎてから何夜過ぎたのでしょう。
従者たちは答えられませんでした。この時、燭(あかり)番がいて、尊の歌に続けて、歌を詠みました。
「かがなへて 夜は九夜日には十日を」
日数を数えてみると、夜は九夜、昼は十日です。
尊は燭(あかり)番の賢さを褒め、褒美を与えました。この宮に滞在中、靫部(ゆけいのとものお 矢を入れる道具を背負う者)を大伴連の先祖の武日に与えました。
 
日本武尊は言いました。
「蝦夷の悪しき者たちはことごとく罰せられた。ただ、信濃国(長野県)と越国(こしのくに福井~石川~新潟県一帯)のみが、いまだに少し朝廷に従わないでいる。
 
日本武尊は甲斐(山梨県)より北の武蔵(むさし 東京都 埼玉県一帯)、上野(かみつけ 群馬県)を経由して西の碓日坂(うすいのさか 群馬県碓氷峠)に到着しました。

 
 
 『日本書紀』には蝦夷を征伐するため日高見国(日高見神社があるところという意味ではなく、東北地方の広い範囲をさしています)まで遠征し、そののち、東北地方の内陸部を南下して常陸に至りました。そして、新治・筑波を過ぎて山梨の酒折宮に滞在したことが書かれています。酒折宮までの正確な経路や訪問順は不明ですが、各地の神社に伝わる記録により大まかなルートが見えてきます。酒折宮のあとは東京北西部を経由して群馬に向かっています。
 
 

武蔵一之宮 氷川神社 埼玉県さいたま市大宮区大宮区高鼻町1丁目407 GoogleMap

 祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)です。
 今から2400年以上前、第五代孝昭天皇の代に創建されたと言われている古社です。現在の神社の周りには市街地が広がり、古代の様子は想像できませんが、この神社はやや高台(大宮台地)にあり、古代は神社の東に広大な湖沼があったようです。そこは「神沼」「御沼」「見沼」と呼ばれ、現在は境内の神池にその名残を見ることができるようです。また、地名の高鼻はこの土地の形状からつけられたと言われています。
 日本武尊は東征の折ここを訪れ、東夷鎮定の祈願をしています。

 
 
 
 
 
 
 

 

 

鷲宮(わしのみや)神社  埼玉県久喜市鷲宮1丁目6−1 GoogleMap

 天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなどりのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)を祭神としています。
 付近には縄文時代の遺跡もあり、古墳時代以前より人々が生活していたところであったようで、日本武尊が東征の折、別宮を建てて戦勝祈願をしたと伝わっています。その別宮が現在の本殿と言われています。
 

 

堀兼神社・堀兼の井 埼玉県狭山市大字堀兼2220−1 GoogleMap

 祭神は木花咲耶姫命です。
 日本武尊が東征の帰路ここに立ち寄りました。そのとき村人たちが旱害(かんがい:干ばつ)に苦しんでいるのを見て富士山に祈願したところ水が湧いてきたと伝えられています。村人たちは浅間神社を建てて祀りました。「堀兼井浅間社」とも呼ばれていました。本殿への石段下には朱塗りの随身門が建ち、中には豊磐間戸命(とよいわまどのみこと)と櫛磐間戸命(くしいわまどのみこと)が祀られています。
 いつ創建されたのかは不明ですが。この地には「堀兼の井」があり、平安時代にもこの井戸のことが書かれた記録があります。これは丘陵地の井戸として貴重なものであったとされています。

 
 
 
 
 
 
 
堀兼の井

 

野々宮神社 埼玉県狭山市北入曽276 GoogleMap

 祭神は倭姫命です。
 日本武尊が東征の帰路に立ち寄り、ここで水を得ようと井戸(掘兼の井)を掘らせたと言われています。その後、倭姫の一族がこの辺りを治め、倭姫命と日本武尊(蔵王神社)を祀りました。日本武尊が掘らせた井戸は掘難の井または掘兼の井と呼ばれており、竪堀の井戸で、現在「七曲井」として残されています。

 
 
 

 

広瀬神社 埼玉県狭山市広瀬2丁目23−1 GoogleMap

 祭神は若宇加能売命(わかうかのめのみこと)で神火産霊命(かみほのむすびのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやびめのみこと)他です。
 日本武尊が東国平定の折、この地が倭(大和:やまと)の河合に似ているとして大和の広瀬の神を祀ったと言われています。ただし、本社にその記録はありません。

 
 
 

 
 

尾崎神社 埼玉県川越市笠幡1280 GoogleMap

 祭神は素盞鳴命、奇稲田姫命です。
 日本武尊が東征の折この地を通りかかりました。ここが見晴らしの良い台地であったため尾崎の宮として2神を祀ったと伝えられています。

 
 
 

 
 

出雲祝(いずもいわい)神社 埼玉県入間市宮寺1 GoogleMap

 祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)、天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)
で景行天皇の時代に創建されました。
 日本武尊が東夷征伐のとき、小手指ヶ原(こてさしがはら)に至り、2神を祀ったと伝えられています。出雲伊波比神社とも書かれてていたようです。  

 
 
 

 
 

 

武蔵御嶽(むさしみたけ)神社 東京都青梅市御嶽山176 GoogleMap

 祭神は櫛真智命(くしまちのみこと)、大己貴命(大国主:おおくにぬしのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)、安閑天皇(あんかんてんのう)、日本武尊です。
 東京都青梅市の武蔵御嶽山に建つ神社で崇神天皇の時代に創建されたとしています。昔から「御嶽大権現」と呼ばれて関東を中心に厚く信仰されていた神社です。明治時代に現在の「御嶽神社」と改称され、その後「武蔵御嶽神社」となりました。祭神の櫛真智命は占いの神と言われていますが、日本武尊の伝説に由来する犬(ニホンオオカミ:絵馬)が祀られている大口真神社(おおくちまがみしゃ)も境内にあります。

 

  御嶽山へは滝本駅からケーブルカーを利用します。御嶽山駅から歩いて神社本殿に向かいます。

 
 
 
 
御嶽神社 本殿
 御嶽神社の祭神は大口真神です。
 
 
 本殿の前に並ぶ狛犬は他の神社とは異なり犬ではなくニホンオオカミです。ニホンオオカミは昔は山に生息していたと言われていますが、現在は絶滅したためその生きた姿を見ることはできません。日本武尊を導いた白狼は江戸時代になると「おいぬ様」信仰として民衆に広がりました。そのため、御嶽山への参拝も多く行われていたようです。絵馬やお札にその姿が描かれ、境内でも雄姿を見ることができます。また「おいぬ様」を祀る神社は他に岐阜県の御岳(おんたけ)神社や山梨県の金櫻(かなざくら)神社、群馬県の三峰神社などが有名です。
 
 
 
 
 
御嶽神社  大口真神社 GoogleMap

 祭神は「大口真神」で「おいぬ様」と呼ばれていますが、守り神となっているのはホンオオカミです。日本武尊が東征のとき、御岳山を進んでいると深山の邪神が大きな白鹿と化して道を塞ぎました。そこで、日本武尊は野蒜で白鹿を退治しましたが、山が鳴り、霧が発生して道に迷ってしまいました。すると白狼が現れて日本武尊らを道案内しました。こうして日本武尊らを無事に導くことができたと言われており「災いを防ぎこの地を守護せよ」との日本武尊の命に従い、この狼は御嶽山の守護神(大口真神)となりました。また、日本武尊は御嶽山に武具を納めたのでここを武蔵と名付けられたとも伝えられています。
*野蒜で大鹿を退治したとする伝説は信濃の神社にもあります。
 大口真神社の左奥には奥の院の遥拝所があります。ここから奥の院がある山を見ることができます。

 
 
 
 

 本殿から下りたところにある山道を鍋割山に向かって約40分ほど登った頂上(1077m)に奥の院があります。途中、ロックガーデンや天狗岩への分かれ道がありますが、天狗の腰かけ杉を見て山頂に向かいます。山頂は「男具那ノ峰」と書かれています。ここに日本武尊が祀られています。途中、橘姫(弟橘媛) を祀る石碑や日本武尊を意味する男具那社が参道にあります。

 
御嶽神社 橘姫命碑
  石碑には「橘姫命」と書かれていますが日本武尊の妃 弟橘媛を祀っています。入り口の案内図では「橘姫社」と書かれていました。
 
 
 
 
御嶽神社 男具那(おぐな)社 GoogleMap
 奥の院に向かう山の中腹に、平成17年に改築された朱塗りの小さな社があり日本武尊を祀っています。日本武尊と名乗る以前は小碓尊あるいは倭男具那(やまとのおぐな)とも呼ばれていました。ここが邪神によって道が分からなくなり白狼に助けられた地であり、武具を納めたところでもあります。
 
 
 
 
御嶽神社 奥の院  GoogleMap

 頂上(1077m)付近に奥の院があります。石祠の文字は判別できませんが、境内にある案内図には「征夷高祖御社」と書かれていました。

 
 
 
  

 
 山梨県上野原市にある伝承地には東征の前、足柄峠を越えたのち相模川を船で上ったとも考えられます。そのように伝えている社伝もあります。しかし、神奈川県西部にある日本武尊を祀る神社が集まっている地域からは随分北にあり、東征前にここまで来たとするのには無理があるようにも思います。そのため、このページでは東征後の立ち寄りとしたいと思います。 
 

軍刀利(ぐんだり)神社 山梨県上野原市棡原4133 GoogleMap

 祭神は日本武尊です。創立由緒は不詳です。
 もとは三国山の山頂に祀られていましたが火災に遭い、現在地に遷されました。武勇の神様として日本武尊が祀られており、本殿前にも大きな剣が飾られています。参拝に来ていた地元の人の話では、最近パワースポットとして紹介されたそうで訪れる人が増えているようです。

 
 
 
 
軍刀利(ぐんだり)神社 奥の院 GoogleMap
 本殿脇の山道を10分ほど登ったところに鎮座しています。社殿前の桂の木は樹齢500年と言われ高さが30m以上あります。この付近からは湧水が見られ、参道に沿って清らかに流れていました。この雰囲気がパワースポットらしいのかもしれません。
 
 
 

 
 
 

石楯尾(いわたてお)神社 神奈川県相模原市緑区佐野川3448 GoogleMap

 神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)を主祭神としています。
 境内の案内板には次のように書かれていました。(一部省略)
「第十二代景行天皇の庚成四十年、日本武尊東征の砌り、持ち来った天磐楯を東国鎮護のため此処に鎮め、神武天皇を祀ったのが始まりである。石村石楯は、高座郡の県主で当地の住人であった。第四十七代淳仁天皇の天平宝字八年(764年)さきの太政大臣藤原恵美押勝反逆の折、貢のため上京中で押勝の首を取り乱を鎮めた功により、高座・大住・鮎川・多摩・都留の五郡を賜ったといわれ、石楯尾神社の保護者であった。」
  神社から少し離れていますが、山頂に向かって山道を登ったところに甘草水(かんぞうみず)という湧水地があるそうです。案内には次のように書かれています。
「甘草水は日本武尊の伝説に由来します。日本武尊が東征の折、この地に立ち寄りましたが、したが、周辺に水がなく難儀しました。そこで日本武尊は鉾をもって岩に穴を掘ったところ、こんこんと清水が湧き出し、兵士たちの喉の渇きを潤しました。日本武尊はこれを狭野尊(神武天皇の呼称)の賜と喜び、その泉を甘草水、下流を狭野川と名づけたとのことです。狭野川は後に佐野川と改められ、それが旧村名、佐野川になりました。現在甘草水は飲用禁止です。」
 実際にこの場所を探しましたが見つかりませんでした。福祉施設の職員に教えていただいた山道をしばらく歩いていて工事をしている地元の人に出会いました。話を聞きましたが、今は枯れていて水はないとのことでした。その方も最近は行っていないし、整備されていない山道を随分登らないといけないのとわかりにくいから行くのは難しいと言われ、あきらめました。

 
 
 
 

石楯尾神社 神奈川県相模原市緑区名倉 GoogleMap

 石楯尾大神を主祭神とし、日本武尊他も祀られています。
 神奈川県相模原市には他にも石楯尾神社があります。延喜式内社の石楯尾神社の論社が7社あり、現在でも確定されてはいません。その中で最も有力とされるところが名倉の石楯尾神社です。境内の案内板ではここは「名倉の権現様」とも呼ばれていたようで「エボシ岩」と言われる神籬磐座を信仰対象とする産土の神社でした。現在この岩はありません。

 
 
 
 

 石楯尾神社の他の論社は以下の5社です。
 
 石楯尾神社 神奈川県相模原市南区磯部字中峯2132
 諏訪神社 神奈川県大和市下鶴間2555
 諏訪神社 神奈川県座間市入谷1-1568
 諏訪神社 神奈川県相模原市緑区大島594
 石楯尾神社 神奈川県藤沢市鵠沼神明2-1-5
 
 
 

牛倉神社 山梨県上野原市上野原1602 GoogleMap

 保食命(うけもちのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)、天児屋根命(あめのこやねのみこと) が祀られています。『甲斐国誌』では大宮牛倉明神と記されており、また「天王森」とも呼ばれているところです。日本武尊との関係ははっきりしませんが甲州街道近くにあるため通過地とも思われます。

 
 
 

 
 
 

権現神社・王勢籠(おせろう)神社 山梨県上野原市和見2150 GoogleMap

 祭神は日本武尊です。山梨県上野原市和見に里宮があり、権現山山頂に奥宮があります。伝承として記録はありません。祭神として日本武尊を祀っていることは、元々何らかの伝承があり、それを伝えることが絶えたと考えるべきかもしれません。
 東征前にも紹介していますが、ここは大変わかりにくく、地元の方に尋ねてやっと見つけることができたところです。現在は修正されていますが、元のGoogleMap上の神社の位置は山王社を示しています。 

 
 
 

 

 

稲村神社 山梨県大月市大月町花咲209 GoogleMap

 素盞鳴尊、稲田姫命を祭神としていますが、江戸時代の創建のように思われるため日本武尊との関係はないようですが、他の稲村神社のように旧甲州街道沿いに建っていることからこの付近が通過地であったと思います。
 

 
 
 

 
 

 

 
 

諏訪八幡神社 山梨県南都留郡西桂町小沼1613 GoogleMap

 祭神は建御名方命、誉田別命です。  
 日本武尊が東国平定の帰りに富士山を遥拝しました。その折に東国開拓と国家鎮護のために諏訪大神を勧進しました。

 
 
 
 

 
 

 
 

北口本宮富士浅間神社 山梨県富士吉田市上吉田5558番地 GoogleMap

 祭神は木花開耶姫命、彦火瓊々杵尊、大山祇神です。    
 日本武尊が東征の帰路、酒折宮に向かう途中に大塚丘に上って富士山を遥拝しました。村人たちはそこに祠を建て浅間明神を勧請し日本武尊を合祀しました。

 
 
 
 
大塚丘 
山梨県富士吉田市上吉田GoogleMap
 日本武尊が祀られています。浅間神社の本殿横の小道を少し歩いたところに塚があります。この辺り、昔は「草山」と呼ばれていて今のような高い木はありませんでした。そのため富士山の眺めが素晴らしく、酒折宮に行く途中立ち寄った日本武尊はここから富士山を拝すべしと言ったと伝わっています。里人はここに浅間大神と日本武尊を祀りました。これが北口本宮富士浅間神社の創建となりました。後に富士山の噴火により、788年甲斐国を治めていた紀豊が現在神社本殿がある地に浅間大神を遷しました。
  
 
 
 
 

 

諏訪神社 山梨県北杜市長坂町塚川2439   GoogleMap

 祭神は建御名方命です。        
 日本武尊がこの地を通過したと伝えられています。

 
 
 
 

 

 
 

稲村神社  山梨県大月市笹子町吉久保1056 GoogleMap

 祭神は 国常立命、素盞鳴尊、日本武尊、稲田姫命です。
 日本武尊が東征の帰路に立ち寄り休憩しました。黒野田の稲村神社にも同じ社伝があります。

 
 
 

 

奥野稲村神社 山梨県大月市笹子町黒野田740 GoogleMap

 祭神は国常立命、素盞鳴尊、日本武尊、稲田姫命です。
 日本武尊が東征の帰路、ここで休息しました。

 
 
 

 

 

 

天神社 山梨県山梨市大工1563 GoogleMap

 祭神は菅原道真公、大己貴命、少彦名命、日本武尊です。       
 甲斐の国造塩海宿祢が日本武尊を祀りました。

 
 
 
 
 
 
 

 

 

甲斐奈神社 山梨県笛吹市一宮町橋立84 GoogleMap

 祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)、伊弉諾尊、伊弉冉尊を祀っています。境内の林部天神社には菅原道真、日本武尊が祀られています。林部宮橋立明神に合祀されており、ここは日本武尊が休息したところと伝わっています。その際、ここで食事(案内には昼餉と書かれています)をしたときに杉の枝を箸に用いました。この箸を地面に刺したところ生長し「橋立の大杉」と呼ばれるほどになりましたが、今は枯れてしまいました。

 
 
 

 

美和神社 山梨県笛吹市御坂町二之宮1450 GoogleMap

 大物主命を祭神としています。
 日本武尊により甲斐の国造塩足尼が大和の大三輪神社から三輪明神を勧請しました。

 
 
 

 

 

山梨岡神社 山梨県笛吹市春日居町鎮目1696 GoogleMap

  祭神として大山祇神(おおやまつみのかみ)、高おかみ神、別雷神(わけいかづちのかみ)を祀っています。御室山をご神体としていたことから旧社地は背後の御室山(みむろやま)にありました。崇神天皇の時代に創建されたと伝えられています。郡境を定めるに当たり現在地に遷すことになり、梨の木を伐採した地に鎮座しました。そのため、「甲斐嶺山梨岡(かいがねやまなしおか)」と名付けました。県名のもとになった神社となっています。

 
 
 

 

東屋宮 山梨岡神社摂社 山梨県笛吹市春日居町鎮目 GoogleMap

 山梨岡神社から約1キロ北にあり、摂社となっています。祭神は日本武尊、妃橘姫命です。額には「吾妻屋宮」と書かれていました。別名「四阿宮(あづまやぐう)」とも呼んでいるようです。ここは日本武尊が休息した地と言われています。wikipediaによると「四阿山権現(あづまやさんごんげん)」とも呼ばれていたと書かれています。
 ここは大変わかりにくい場所にありました。地元で農作業をしていた方に教えていただき、獣よけの金網戸を開けて入り、そこから少し山道を登ったところにありました。

 
 
 
 
 
 
 

 

東征の帰路 甲斐国 酒折宮
  

『日本書紀』 
灯をともして食事をしてから、夜、歌を作ってで従者に尋ねました。
「新治(にいばり 茨城県)筑波を過ぎて幾夜か寝つる」
新治や筑波を過ぎてから何夜過ぎたのでしょう。
従者たちは答えられませんでした。この時、燭(あかり)番がいて、尊の歌に続けて、歌を詠みました。
「かがなへて 夜は九夜日には十日を」
日数を数えてみると、夜は九夜、昼は十日です。
尊は燭(あかり)番の賢さを褒め、褒美を与えました。この宮に滞在中、靫部(ゆけいべ 役職名 靫-矢を入れる道具)を大伴連の先祖の武日(大伴武日)に与えました。

 
酒折宮周辺の伝承地 

酒折宮(さかおりのみや) 

  日本武尊は行宮とした酒折宮に滞在中、ここを拠点として、周辺の地域に出かけました。どこを通ってどこに出かけたかは全くわかりません。推測もできません。ここでは周辺地域にある伝承地を紹介したいと思います。
 
 東征の北限日高見国から都へ戻る際、往路の海路とは異なり帰路は山間部の東山道を南下してきました。そして、日本武尊は常陸国を経て甲斐酒折宮に至りました。ここに行宮を営みしばらく滞在したようです。この旧跡に創建したのが酒折宮です。行宮に滞在中、日本武尊は塩海足尼(しおうみのすくね 『甲斐国誌』に名が見られる)を呼んで甲斐国造とし、火打ち袋を授けました。後にこれを祀って社殿を建てたと言われています。現在の酒折宮はもとあった所から遷座されており、もとは近くの御室山(みむろやま:酒折山・月見山)の山中に祀られていたと伝えられています。
 酒折宮は連歌発祥の地とされています。東国平定に尽力し、日本武尊も軍団も疲れていたことと思います。今はそれを癒すかのような静かな夜です。庭に篝(かがり)火が灯り、平穏なひと時を過ごしていました。そんな時にふと思い出し、口にしました。
 
 日本武尊 が
  「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる
    (新治、筑波を通り過ぎてから何日経ったのだろう)
 燭番が
    「日々(かが)並(な)へ(べ)て夜(よ)には九夜 日には十日を
     (数えてみると九夜十日が過ぎました)
 
 日本武尊はここに数日間滞在しました。その時、靫部という役職を大伴武日に与えました。大伴武日は大伴連の遠祖です。(祖先とするのは『日本書紀』の編纂が始まった飛鳥時代に大伴氏は朝廷の重役にいました。その大伴氏の系図では大伴武日が始まりに位置しているという意味です。)
 
 『尾張国熱田太神宮縁起』では日本武尊が尾張国の宮簀媛を想って歌を詠んだと書かれています。
 愛知潟(あゆちがた)、氷上姉子(ひかみあねこ)は吾来(こ)むと床避(とこさ)るらむやあはれ姉子を
 愛知潟の氷上姉子(宮簀媛)は私が来るかと床を避けて待っているでしょうね。ああ姉子よ。
 
 
 軍団の休息地でもあった酒折宮の候補地は甲府市内に2社あります。
 

酒折宮① 酒折宮 山梨県甲府市酒折3-1-13  GoogleMaps

 祭神は日本武尊です。日本武尊が東征の帰路に滞在しました。
「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と日本武尊が問うと、近くにいた館の燭(あかり)番が「かがなへて 夜は九夜 日には十日を」と答えました。この場面が酒折宮を連歌の発祥地とする所以です。日本武尊は信濃に向かうとき火打袋を授けました。この袋を御神体として祀りました。

 
 
 
 
 
 
 
 
石碑 左から 連歌碑 本居信長碑 酒折宮祠碑 

 
 

酒折宮② 坂折天神社 山梨県笛吹市御坂町竹居4837  GoogleMaps

 石碑には「日本武尊御舊蹟 坂折天神社」(舊=旧の意味)と書かれていますが、ここも酒折宮の候補地です。日本武尊を祭神としています。             
 社伝ではここが日本武尊が東征の帰路に立ち寄った酒折宮(さかおりのみや)としています。

 
 
 

 
 
 

酒折宮周辺の神社

 山梨県には酒折宮以外にも日本武尊を祭神とする神社が多くあります。それぞれに滞在地、休息地、通過地などの伝承がありますが、どのような順で訪れたのかはわかっていません。酒折宮にしばらく滞在して近隣を散策したと推測します。
 
 

熊野神社 山梨県甲府市朝気1丁目11−1  GoogleMaps

 祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、速玉男命、事解男命です。
   日本武尊が東征のとき、酒折宮に滞在しました。村人たちは朝餉(あさげ)を奉りました。神社がある場所の地名となっている朝気(あさけ)のもとになっています。

 
 
 

 

武田神社 山梨県甲府市古府中町  GoogleMaps

 祭神は武田信玄です。武田氏の館跡に神社があります。

 
 
 

 
 

脚氣石(かっけいし)神社 山梨県甲府市上帯那町2314  GoogleMaps

 祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのみこと)、神皇産霊神(かむみむすびのみこと)、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、宇気母知神(うけもちのみこと)です。
   日本武尊が東征の帰りにここを通りかかった際に足を痛めてしまいました。そこで天照大神を祀って祈ったところ痛みが治まったと伝えられています。
 石祠のある磐座をご神体としているそうです。社殿が少し壊れていましたが修理はされていませんでした。

 
 
 

 
 
 

金櫻神社 山梨県甲府市御岳町2347  GoogleMaps

 祭神は少彦名命、大己貴命、須佐之男命で、相殿に日本武尊、櫛稲田姫命が祀られています。
   日本武尊命が東征からの帰路、金峰山山頂(奥宮がある)に大己貴命と須佐之男命を合祀したことが始まりです。ここを国家鎮護の霊地と定め首鎧を納めたと言われています。*夏と秋に参拝したため、画像はミックスしています。

 
 
 
 
 
 
 
 

 

夫婦木神社 山梨県甲府市御岳町2041  GoogleMaps

 祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊です。
 通過地でしょうか。

 
 
 
 
 
 
 

 

八雲神社(八王子山)・昇仙峡 山梨県甲府市  GoogleMaps

 
 
 
 
 
 
 
 
 

黒戸奈神社 山梨県山梨市牧丘町倉科4926  GoogleMaps

 祭神は素戔嗚尊です。別名唐土大明神ともいいます。
 境内の案内板には書かれていませんでしたが、日本武尊が東征の折、当国鎮護のため創建したと伝わっています。

 
 
 
 
 
 
 

 
 

細草大明神 山梨県甲府市平瀬町 2935  GoogleMaps

 黒戸奈神社の論社と言われています

 
 
 
 
黒戸奈神社  山梨県甲府市黒平町3  GoogleMaps
 奥昇仙峡と呼ばれるところにもう一社黒戸奈神社の論社と言われているところがあります。
 
 
 

 

原山神社 山梨県韮崎市清哲町青木1236  GoogleMaps

 祭神は日本武尊です。
 『甲斐国史』に「諏方郡御射山と同じく日月星の三光を祭る。七月廿七日の祭時に祠辺りにて必ず日月星の三光を拝す。」と書かれていました。
 日本武尊の通過地あるいは滞在地の可能性もあるのでしょうか。

 
 
 

 

武田八幡宮 山梨県韮崎市神山町北宮地1185  GoogleMaps

 中殿に誉田別命、左殿に足仲津彦命、右殿に息長足姫命、相殿には武田武大神が 祀られています。   
 日本武尊の子の武田王館跡に建てられました。

 
 
 

 

東屋宮 山梨県北杜市須玉町東小尾  GoogleMaps

 祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、木花開那姫命(このはなのさくやびめのみこと)、弟橘姫命(おとたちばなひめ)です。
    日本武尊は伊勢、尾張、駿河の賊を平定した後、常陸の国の蝦夷も討ちました。帰りに酒折宮で休息し、甲斐国の金峰山(標高約2600m)の麓にある本谷川沿いに進んでここに到着しました。ここで日本武尊は破魔弓を使って悪魔退治を行いました。また、ラヂウム鉱泉を発見したとも言われています。この後、御門、神戸、碓井峠を通り信濃国に入りました。

 
 
 

 

神部神社 山梨県北杜市須玉町小尾  GoogleMaps

 祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)、 誉田別命(ほんだわけのみこと)、 広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)です。          
 日本武尊は東小尾で湯治したと伝えられています。また、この地を通過する際に賊らを退治しました。

 
 
 

 

東屋宮 山梨県北杜市須玉町若神子  GoogleMaps

 祭神は日本武尊、弟橘姫命です。     
 日本武尊が東征の帰りに甲斐国を通過しました。村人たちは日本武尊の徳を慕い社を築きました。もとは断崖の岩窟内にありましたが、工業団地の建設に伴い現在の岩窟内に改築されました。

 
 
 

 

荒尾神社 山梨県北杜市白州町台ヶ原2296  GoogleMaps

 祭神は罔象女命(みつはのめのかみ)、大和武命(やまとたけるのみこと)、大己貴命(おおあなむちのみこと)です。

 
 
 
 

石尊神社 山梨県北杜市白州町鳥原3107  GoogleMaps

 祭神は大山祇命、大和武尊です。

 
 
 
 

山梨岡神社・腰掛石・武尊社 山梨県山梨市下石森1  GoogleMaps          
 祭神は伊弉諾尊、事解男命、速玉男命、國常立尊、大國主命、少彦名命です。
 日本武尊東征の際に勧請されました。
 社殿の東に腰掛石があり、その上の天神社には日本武尊が祀られています。

 
 
 

 

松向(しょうこう) 諏訪神社(広野神社) 山梨県北杜市小淵沢町松向胡桃久保  GoogleMaps

 建御名方命、天照大神、大山祇神を祭神としています。
 日本武尊が東征の帰路にこの地を通りかかり、松の木の向こうに集落が見えることから「松向」という地名をつけたという伝承が『小淵沢町誌』を参考にしたWikipediaの小淵沢町のページに紹介されていました。 
 この神社につながる参道を裁断するようにJRの線路が通っており、参道を通って社殿に行くことができませんでした。近くを通行中の方にお尋ねし、線路に沿った細い道を通って神社に行くことがわかりました。
 

 
 
 

 

 
小淵神社 山梨県北杜市小淵沢町  GoogleMaps
 町名の由来ともなった神社ですが、小さな石祠が二つあるだけの神社です。日本武尊がこの地を通りかかり、池のほとりで軍の兵や馬を休めたと伝えられています。(Wikipediaの小淵沢町のページ参考)
 
 
 
 

建岡神社  山梨県北杜市長坂町大八田6822  GoogleMaps

 祭神は建御名方命(たけみなかたのかみ)です。             
 日本武尊が東征の際「建き大丈夫の立つるが如き」と言いここに仮宮を建てました。

 
 
  

 

船形神社  山梨県北杜市高根町長澤2606  GoogleMaps

 祭神は 建御名方命です。        
 もとは諏訪明神と呼ばれていましたが社地が船山と呼ばれていたので船形神社となりました。日本武尊が信濃国に向かう途中に立ち寄り奉幣(ほうへい)しました。

 
 
 
 

伊勢大神社  山梨県北杜市高根町村山東割  GoogleMaps

 祭神は天照大神、豊受大神、素盞鳴命、日本武尊です。
 日本武尊が東征の折ここを通過した際、小丘で休まれました。この時、村人は天照大神の霊代を賜りました。日本武尊が立ち去ったのちここに社を造営し天照大神を安置しました。

 
 
 
 

王太神社  山梨県北杜市白州町横手2540  GoogleMaps

 祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、大日霊貴命(おおひるめのみこと)です。             
 日本武尊東征の折の休息地です。

 
 
 
 
 

教来石(きょうらいし)  山梨県北杜市白州町下教来石  GoogleMaps

 この石の名がもとでつけられた珍しい地名です。教来石は「経来石」とも書くようです。日本武尊がこの石の上に座って歌を詠んだと言われています。案内板にはもとは「清ら石」で、それが転じたものと書かれています。
 案内板には教来石の上に祠を置いて日本武尊を祀ったと書かれていますが、案内板近くの石の上には石祠ではなく石仏が乗っています。教来石は地区内にいくつもあるようで、近くには案内板に書かれているように祠がある石を見ることができます。

 
 
 
 
 
 
 

 
 

松宮 諏訪神社  山梨県北杜市長坂町塚川2174  GoogleMaps

 祭神は建御名方命です。
 日本武尊が通過の際祈願したと伝えられています。

 
 
 

 

建部神社  山梨県北杜市高根町箕輪1364  GoogleMaps 

 祭神は建御名方命です。        
 日本武尊の東征の際、ここに住んでいた毒竜鬼を討伐し天神を祀りました。(注 ここでの天神は菅原道真ではありません)日本武尊は池の水で手を洗い清めましたが、その御手洗池が現在も残っているようです。後に現在地に遷しました。

 
 
 

 

弓削神社  山梨県西八代郡市川三郷町市川大門  GoogleMaps

 祭神は瓊々杵命(ににぎのみこと)、木花開那姫命(このはなのさくやびめのみこと)、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、大伴武日命(おおとものたけひ)です。
  日本武尊が吉備武彦や大伴武日らとともに東国を平定した帰りに甲斐国の酒折宮に滞在されました。そのとき、日本武尊は大伴武日に靱部を与え、この地に住居を構え、一帯を治めるようにしました。社のある場所は大伴武日の館跡と言われています。村人たちは大伴武日に感謝し社を築いて靱部社としました。その後、「弓削」と変わりました。

 
 
 
 
 
 酒折宮にしばらく滞在した後、日本武尊は武蔵国埼玉、上野国群馬を経由して信濃国長野に向かっています。
 

 

東征の帰路 山間部を抜ける

 

『日本書紀』
 日本武尊は言いました。
「蝦夷の悪しき者たちはことごとく罰せられた。ただ、信濃国(長野県)と越国(こしのくに福井~石川~新潟県一帯)のみが、いまだに少し朝廷に従わないでいる。
日本武尊は甲斐(山梨県)より北の武蔵(むさし 東京都 埼玉県一帯)、上野(かみつけ 群馬県)を経由して西の碓日坂(うすいのさか 群馬県碓氷峠)に到着しました。

 
 愛知県大府市にある三峯神社(熱田社)が伝えるところによると、日本武尊は酒折宮から雁坂峠を越えてきました。日本武尊は三峯山に登り仮宮を建て、伊弉諾尊と伊弉册尊を祀りました。
 この伝承から酒折宮→(周辺の伝承地)→雁坂峠→三峯神社→(秩父の伝承地)への行程を推測することにしました。

  

大嶽山那賀都神社  山梨県山梨市三富上釜口617  GoogleMaps

 

 祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)、大雷神(おおいかずちのかみ)、高籠神(たかおかみのかみ)です。
 日本武尊が東国を平定しての帰り、神助を得て甲武信の国境を越えてきました。この神の助けに感謝し、神恩奉謝の印として標高約2160mの国司ヶ岳に剣を留め置き三神を斎き祀ったと伝えられています。現在その場所には奥宮があります。

 
 
 
 
 
 
 

 

 

雁坂峠   GoogleMaps

 日本武尊は雁坂峠を越え三峯神社がある地へ向かいました。
 現在、峠道の通行はやや難しく、トンネルを利用しました。

 

 

 

三峯神社 埼玉県秩父郡大滝村三峯298-1  GoogleMaps

 祭神は伊弉諾尊,伊弉册尊です。
 日本武尊は甲斐国から上野国を通り碓氷峠に向かう途中にこの山に登りました。見渡せば山野がとても美しいところで、平和を祈願して伊弉諾尊と伊弉册尊を祀る社を造営しました。その後、景行天皇が東国を巡った際、上総国で3つの峰の連なりが美しいことを耳にし「三峯山」と名付け、また社を「三峯宮」としました。
  

 
 
 
狛犬はお犬様 オオカミです。
 
 
 
随神門と拝殿
 
 
 
拝殿と本殿
 
 
 
関東屈指のパワースポット
 拝殿前の敷石に龍が浮かび上がっています。
 「平成24年、この下の敷石にその年の干支である『龍(辰)』が現れました。」
 
 
 日本武尊銅像
 三峯神社には日本一大きな日本武尊の銅像があります。これを見たかったためこの神社には3回参拝していますが、2回は天気が悪く銅像の写真をきれいに撮影することができませんでした。3回目にして晴れました。
 
 
 
日本武社
 天気予報をチェックして晴れの日を選んで3回目の参拝をしました。天気が悪い日は日本武社がややぼんやりと写ってしまいました。今回は改修工事中であったため、社殿全体を撮影することができませんでした。前回と併せた画像を並べます。
 
 
 

 

 

武甲山 埼玉県秩父郡  GoogleMaps

 
 
 
 


秩父御嶽神社・日本武尊社  埼玉県飯能市坂石550−2  GoogleMaps

 
 
 
日本武尊社
 
 
 

 

我野神社 埼玉県飯能市吾野226−1  GoogleMaps

  日本武尊がこの地に天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祀りました。

 
 
 


 
×伊豆ケ岳埼玉県飯能市
 

 

中蒔田椋神社 埼玉県秩父市蒔田2167  GoogleMaps

 
 
 

 

上蒔田椋神社 埼玉県秩父市蒔田2842  GoogleMaps

 
 
 

 

吉田椋神社 埼玉県秩父市下吉田7377  GoogleMaps

 
 
 

 

 

宝登山(寳登山:ほとさん)神社 玉の泉 埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828  GoogleMaps

 祭神は神武天皇、大山祇神、火産霊神です。
 東国平定を終えた日本武尊は帰路に立ち寄りこの山に登りました。その際麓の玉の泉で身を清めました。頂上からの眺めはすばらしかったのですが、火に囲まれてしまいました。すると大犬が現れ火を消しました。山火事を止めたことから火止山と名付けられ、それが宝登山と変わりました。

 
 
 
本殿
 
 
 
日本武尊社と玉の泉
 
 
 


風布川(ふうぷがわ)・日本水(やまとみず) 埼玉県大里郡寄居町風布  GoogleMaps

 ここを通りかかった日本武尊は喉が渇き、岩肌に剣を振るったところ泉が湧き出したという伝説があります。この水があまりに冷たかったので一杯しか飲めず「一杯水」とも呼ばれていたそうです。この湧水は「日本水」と呼ばれ現在もたくさんの水が湧き出ています。とても勢いよく湧き出ているきれいな水をこの日も隣の町から車で来たという人たちが次々にポリ容器に入れていました。取水している最中でしたが写真撮影の間だけ手を休めていただきました。ここは「日本名水百選」にも選ばれています。

 
 
 
 

 

釜伏山  GoogleMaps

 粥を煮た釜を岩上に伏せたことから山の名がついたとされています。
    釜伏山の山道を走ると塞神峠(さいじんとうげ)に至ります。この先に釜山神社があります。

 
 
 

 

釜山神社 埼玉県大里郡寄居町風布1969  GoogleMaps

 標高582mの釜伏山山中にあります。大口真神(狼)を御祭神とする神社です。日本武尊が立ち寄り、釜で粥をたきました。この釜を御神体の岩の上に伏せて戦勝祈願をしたと伝えられています。粥を煮たところが粥新田(かゆにた)峠、箸を地面に挿したら木になったと伝えられるのが二本木峠です。

 
 
 
 
 
 
 

 

 

城峰神社 埼玉県児玉郡神川町矢納  GoogleMaps

   社伝によると、日本武尊が東夷征伐の折に山頂に大山祇命を祀ったのが始まりとされています。
「由緒 人皇第十二代景行天皇の四十一年皇子日本武尊東夷御征討の御帰路この里に到り拾い当山に霊畴を設け投け遙かに大和畝傍山の皇宗神武天皇の御陵を拝し東夷平定の由を奉告し拾い且つ躬ら矢を納めて大山祗命を祭りて一山の守神と崇め給う是れ即ち当山の起源にして当村矢納の地名も此の古事に緑由せり、天慶三年平将門の弟将平矢納絨を築きて謀叛せり時に藤原秀郷朝命奉じて討伐に向い当山祭神に賊徒平定を祈願し乱治って後厚く祭祀を行い城峰の社号を附せり、(略)」

 
 
 

 

神流川(かんながわ) 埼玉県児玉郡  GoogleMaps

 髪流川から変わりました。弟橘姫の髪を流したら鬼石の諏訪に流れ着いたと言われています。

 
 
 
 

 

金鑚(かんさな)神社 埼玉県児玉郡神川町二ノ宮750  GoogleMaps

 北関東を一望する御嶽山にあり、日本武尊は倭姫からもらった火打金を御霊代としてこの山に祀りました。御嶽山の中腹には鏡岩という赤褐色に光った岩があります。これは約9000万年前の断層活動でできたもので国の特別天然記念物に指定されています。

 
 
 
 
 
 
 

 

 
 

母衣輪神社 栃木県足利市福居町631  GoogleMaps

 祭神は邇邇芸命(ににぎのみこと:天津日高日子番邇邇芸命)、 倭建命(日本武命)です。
 倭建命が東国征討のあとこの地に滞在しました。このとき武運を祈願し武具(母衣)を奉納したと伝えられています。
 氏子のみなさんが早朝より神社の清掃をされていました。お声をかけさせていただいたところ、社殿にある「日本武尊」と書かれた大きな額を見せていただけることになりました。撮影と掲載の許可をいただきました。
 ここから車で15分ほどの所にもう一社母衣輪神社(群馬県太田市藪塚町)
があると聞きましたが詳しい場所を聞いてなかったためたどり着きませんでした。

 
 
 
 
 
 
 

 

白鷺神社 栃木県河内郡上三川町しらさぎ1丁目41-6  GoogleMaps

 祭神は日本武尊です。 相殿に大己貴命、事代主命、豊城入彦命が祀られています。
 日本武尊がここに立ち寄ったという伝承はありません。社伝では783年、疫病が大流行したため日本武尊の神託によって退散祈願をしようと祠を建てたと書かれています。日本武尊は人々の平安を祈りながら全国を旅し、亡くなってからも白鳥と化して人々の生活を見守ったと言われていることからこの神社の祭神としました。境内には日本一の「平和の剣」が奉納されています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
未参拝地 産泰神社 群馬県前橋市下大屋町569 GoogleMaps
 祭神は木花佐久夜毘売 です。
 日本武尊の東征の折り、ここに勧請されました。
 

 
未参拝地 小石神社 群馬県前橋市敷島町255−1 GoogleMaps
 素戔嗚尊を主祭神としています。
  日本武尊の東征の折、南橘村の橘山の山頂に小石を安置して素戔嗚尊を祀り戦勝祈願しました。
 

 

中之嶽神社 群馬県甘楽郡下仁田町上小坂1246  GoogleMaps

 主祭神は日本武尊です。妙義山に登嶽したことにより祀られています。
 ここには日本一大きな大黒様があることでも知られています。

 
 
 
 

 

妙義山  GoogleMaps

 赤城山、榛名山とともに上毛の三山と呼ばれトレッキングに人気のある山です。火山噴火によってできた山で、現在見られる奇岩の景色は長年の風化によって火山性岩石の固い部分が残ったものと言われています。日本武尊もこの地域を通過しており、妙義山の景観を眺めていたと思います。

 
 
 
 

妙義神社(みょうぎじんじゃ) 群馬県富岡市妙義町  GoogleMaps

 祭神は日本武尊、豊受大神他です。
 この神社へは2回参拝しました。最初は天気が悪く、写真も暗くなってしまいました。これまで参拝した神社とは異なり、拝殿、本殿とも極彩色に飾られています。まるで東照宮を見ているかのような装飾に驚くばかりでした。

 
 
 
 
 
 
 
波己曽社
 
 
 
 

 

未参拝地 白髭神社 群馬県安中市松井田町原226 GoogleMaps
 祭神は、猿田彦命、日本武尊、飛滝大神です。
 猿田彦命の化身が白鹿(山の神)を退治しました。
 東征の帰路この地に至った日本武尊の前に山の神が白鹿に化身して現れ進路を妨げました。そこで日本武尊は蛭を投げて征伐しようとすると、辺りに濃霧が発生し行き先が分からなくなりました。そこに剣を持った白髭の老人が現れて白鹿を撃退したため濃霧から脱出することができましたこれは猿田彦命 の加護と信じ石祠を建てて祠ったと言われています。
 
 
 
信濃国へ