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高知県の徐福伝説

 高知県佐川市から望むことができる虚空蔵山(標高  m)に徐福の足跡が残っていす。
 不老不死の霊薬を求めて東方の蓬莱山をめざして中国を船出した徐福一行は,土佐沖で暴風雨に遭い,近くの海岸に漂着したと言われています。そして,目の前にそびえ立つ虚空蔵山に登り霊薬を探します。しかし,そこで霊薬を見つけることはできませんでした。山頂に登った徐福らは鉾をかざして故国を想ったと言われています。
 

五位山公園から虚空蔵山五位山公園から虚空蔵山

虚空蔵山虚空蔵山 高知県の中西部,高岡郡佐川(さかわ)町にある虚空蔵山(こくぞうさん)。この山に仙人を探しにやってきた一行が霊薬を手にすることもできず,途方に暮れて故国を想い嘆き悲しんだことが伝わっています。

鉾ヶ峯縁起鉾ヶ峯縁起 この話は佐川町史の中にある「郷土の伝説ー鉾ヶ峯縁起」にもとづいています。その概略は次のような内容です。(全文は下部に記載します。)
 孝霊天皇七十二年(三十七年とも),秦の始皇帝は二人の重臣,徐福と張郎に不老不死の仙薬を求めさせるため東海にある蓬莱山(日本)に向けて出航させました。東シナ海を越えてやってきた一行は佐賀県の寺井津に到着しました。しかし,ここに霊山はなく再び帆を上げて出航しましたが,高知県沖で暴風雨に遭い,一行はばらばらになり遭難してしまいました。張郎たちは高知県の須崎浦に漂着し,そこで出会った村人に「あれが蓬莱山だ」と教えられた虚空蔵山に登りました。

五位山公園五位山公園 道なき道を進み,いばらの道をかき分け,やっと頂上にたどり着きました。しかし,そこに仙人はいませんでした。仕方なく木々の枝を敷いて床を作り一夜を過ごしました。やがて太平洋から日が昇り始めると,一行は故国を想い,腰の鉾を高くかざして嘆き悲しみました。明るくなってからも仙人を探しましたが,出逢うことはできませんでした。山の湧水を見つけると,これは仙人の飲んでいる霊泉にちがいないと瓢箪(ひょうたん)に入れました。そして,残っていた金銀財宝は虚空蔵山上に埋めました。張郎は仙薬を探したけれど見つからなかったことを始皇帝に報告するために高知から船出しました。
 一方徐福一行は和歌山県熊野に漂着し,村の人たちに捕鯨を教えて暮らしたそうです。



五位山公園正面五位山公園正面佐川町にある五位山公園は小山の斜面を利用して作られた子供達のための遊具がある公園です。山頂で見られる石から,この山全体が石灰岩で出来ていることがわかります。せっかく作られた遊具ですが,これで遊んでいる見どもの姿を見ることは出来ませんでした。そればかりか,使用禁止の張り紙ばかりが目立ちました。
 この小山の山上に徐福顕彰碑が建っています。
地図

徐福顕彰碑徐福顕彰碑碑文
「五位山は一つの宇宙シンボル
天に向かって・・・/星・銀河・回廊
地に向かって・・・/石人像・石舞台
星や大地に、ロマンをかさね
遠くをみれば虚空蔵山
徐福ロマンも秘めている
五位山は、古代人の宇宙・ロマン空間だ」


徐福顕彰碑徐福顕彰碑徐福伝説
前方にそびえる虚空蔵山には二千年以上の昔中国と日本を結ぶロマンとしての「徐福伝説」が秘められている。徐福は不老不死の薬をもとめる秦の始皇帝の命を受けて東海にあるといわれる神仙の山、蓬莱山をめざして船出したが漂着した土地にとどまり故郷には帰らなかった。この伝説は日本各地に残っている。徐福一行、暴風雨に遭い、土佐の宇佐に漂着この虚空蔵山に登ったという。山頂で彼らは鉾をかざして故国をしのび柴を折って一夜の夢を結んだが仙人に会えず、むなしくこの地を去っていったといわれている。
一九九〇年
佐川町

佐川町史佐川町史佐川町史より引用
郷土の伝説
鉾ヶ峯縁起
「天下統一の権力をもって,王者として欲するものの得られないものはなかった。秦の始皇帝にも得もれないものがただ一つ。それは幾百の美女を擁しながら,衰えてゆく青春の歓楽であった。そこで,東海の果,扶桑(日本)の国の蓬莱山にありと聞く不老不死の仙薬を求めて,徐福,張郎の二重臣を仙薬探求の使いとして烟台から出帆させたのは孝霊天皇七十二年(或は三十七年ともいう)であった。
仙薬と交換の金銀財宝を満載した使者一行の大船は,東支那海を横断して肥前国(佐賀県)の有明湾に無事到着,寺井津に上陸したが,この地方に霊山らしいものもなかったため,ふたたび錨をあげて出帆東に向ったが,土佐沖で大暴風雨となり,一行は難船して散々となり,張郎の鷲翔丸は須崎浦に漂着した。
 海上幾十日の航海に,故国を出た時柳の緑に吹いていた初夏の風は,早い異国の秋を浜松の枚に秦でていた。途方にくれた一行は,あれが蓬莱山だと浦人に指さし教えられるままに,はるかの彼方にそびえている仙人が住むという高山に登った。道なき峻坂の茨叢を分けてのぼること久しく,やっと仙人の居るらしい山頂に達したが,どこにも仙人らしいものの姿は見えず,日もはや西山に歿したので,一行は峠に柴折り敷いて異国の空に一夜の夢をむすんだ。
 まだほの暗い大土佐の九十九の灘に暁のいろがただよい初めて,蓬莱山-虚空蔵山に夜明けが訪れ,やがて壮大な大洋の日の出が初まった。一行は水天万里のかなたに故国をしのんで,望郷の念やるかたなく,腰の鉾をとって高くかざして,抱き合って号泣したという。  太陽の昇るとともに,時ひさしく山上を彷うたが,ついに仙人らしいものに逢うとともできず,山上にこんこんと湧く清水をくんで,これが多分仙人の飲んでいる霊泉だろうと瓢につめ,難船にわずかに残った金銀財宝を山上に埋めて山を下りた。
 そして,張郎は不運による探求の失敗を皇帝に報告すべく,土佐の浦を後にしたが,一方徐福の一行は紀伊国熊野浦に漂着,ここを永住の地として,地元民に捕鯨の技を教え,帰化人としてここに終わったという。始皇帝の東方侵略の野望探検だったか,暴政から逃避した一行の運命だったか,それとも,素朴な神仙思想の結果であったか,何れにしても二千年の昔に中国との交渉をもった虚空蔵山の伝説はこころあたたまるものである。
一行が柴折り敷いて一夜の夢を結んだほとりを「柴折峠」と,鉾を高くかざして望郷の涙をながしたほとりを「鉾ケ峯」と後の世の人は呼んだ。」

書籍閲覧の際,佐川町立図書館の方にお世話になりました。

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